2012年07月27日

第42回:群盲象を撫でる

『町に盲学校があった。 あるとき、子供たちを森にピクニックに連れていった。
 昼ご飯を食べて、思い思いに休んでいると、そこに象と象使いが通りかかった。
 先生は子供たちに象という動物を学習させたいと思い、
 象使いに象を触っても良いか頼んでみた。
 象使いはニコニコしながら言った。
「いいですよ。この象はおとなしいから、触っても大丈夫です」
 先生の指示にしたがって、子供たちは象を取り囲むようにしながら象に触れはじめた。

 一人の子供は象の耳に触った。その大きな耳をやさしくなでながらこう思った。
「象は大きなうちわのようだ」
 別な子供は象の足にふれて、思った。「象は太い柱のようだ」
 また、別な子供は象の鼻にふれて、「象は太いこん棒のようだ」と思った。
 象の腹に触れた子供は、「象は大きな壷のようだ」と思った。

 誰もが象にふれた体験を喜んでいた。
 学校に戻ってから、先生が子供たちに訊ねた。
「象というのは、どんな動物でしたか?」
 子供たちは、それぞれ感じたことを話しはじめた。
「象は大きなうちわみたいなものです」と最初の子供が言った。
「違うよ。君はわかっていない。象は太い柱みたいなものだ」と二番目の子供が言った。
 三番目の子供が、笑いながら二人のあいだにはいって、言った。
「何てばかなことを言ってるんだ。象はうちわのようでもないし、柱のようでもない。
 それは太くて長いこん棒みたいなものだよ」
 三番目の子供が言い終わらないうちに、また別な子供が口をはさんだ。
「だれもわかっていない。象は大きな壷みたいなものだ。そうでしょう、先生!」
 子供たちの議論は白熱して、しまいには口論になってしまった。

 それが峠を過ぎた頃に先生は言った。
「先生が象とはどんな動物か話してあげよう。
 みんなが言ったことは正しくもあり、間違ってもいる。
 君たちのそれぞれが触れたのは、象という動物の一部分だ。
 そこから象の全体像を説明しようとしても、それはできない。
 
 象はうちわのようでもあり、柱のようである。
 また、こん棒のようでもあり、壷のようなものでもある。

 それら全てを合わせた以上の何かです。
 そして、何かを知るためには全体を見ることによって
 はじめて全てがつながって理解することができ、
 みんなに説明することができるのですよ。」』
群盲象を撫でる.jpg

『やぶっちコメント』
 一つの大きなことを理解するためには、様々な視点から見ることが
 大事であることを教えていると文章です。
 もちろん投資をする際の調査も、いろいろな視点から調査しなければ
 きちんとした投資はできないと自分は考えます。

 また、自然科学、社会科学は個別科学です。
 これに対し哲学は自然と社会を合わせたその全体を対象としており、
 全体科学とも世界科学と言われています。
 人生においては、まず全体を知ることこそ、悔いのない生き方だと自分は思います。
 
posted by やぶっち at 09:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 人生訓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

第41回:なぜ理念が必要か?

『人生と言うのは、楽しいこともたくさんあるし、
 辛いこともたくさんあります。
 ただ、どちらかというと辛いことがたくさんある中に、
 たまに良いことがあるというのが人生です。

 つまり、生きる現場と言うのは大変厳しいものです。

 疲れたとき、辛い時、心や体がボロボロになっていきます。
 そのときに自分自身を奮い立たせてくれるもの、自分を癒してくれるもの、
 心が下向きになっているものを前を向かせてくれるもの、
 このために、自分がボロボロになってもいいんだといえるものがないと
 長期的に戦うことができません。

 経営というのは長くやるものです。また、お仕事っていうのは長くやるものです。
 つまり、男性も女性も20歳から働き始めたら60歳までの40年間は、
 仕事という現場で戦わねばなりません。
 もし女性もしくは男性のどちらかが家庭に入ったとしても、
 家庭と言う組織を守るために戦わなければなりません。

 特に軍隊とか、会社組織のように色んな思いがある人が集まってきたところにおいては
 みんなの思いが一つになれるものが必要です。

 理念とは長期的に戦いを続けるために必要です。
 継続し、拡大し、発展させるために必要なんです。

 何の理念も、何の思いも無いと、一時的に続けることはできますが、
 継続し続けることは難しくなっていきます。
 だからこそ、理念が必要なんです。』
 (ランチェスター戦略セミナー、講師:株式会社メモリア松岡正泰氏より、一部加筆修正)

『やぶっちコメント』
理念の必要性をとても解りやすく説明していると思い記事にしました。
あなたが長期的に何かやり遂げたいときには、
理念や目的を初めに考えてからやるのをお薦めします。

自分の意思で初めたビジネスや仕事や難しい試験勉強などで
モチベーションが上がらないときになぜそれをやろうとしたのか、
思い出すことで、下向きの心を前向きにしてくれるかもしれません。

ちなみに、この「なるほどブログ」の理念は
「投資家に役立つ情報を載せる!!」をコンセプトに作っています。

また、自分は自動車関係の仕事で作業リーダーをしていますが、
自分がリーダーをやるようになって、最初に考えたのが自分のチームの理念です。
こちらの理念は「みんなで良い車を作ろう!!」にしています。
夫婦で語り合うわたしのお葬式 [単行本] / 松岡 正泰 (著); エル書房 (刊)
posted by やぶっち at 23:05| Comment(8) | TrackBack(0) | 理念・目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月30日

第40回:緊急性と重要性を区別する

『緊急なことはめったに重要ではなく、
 重要なことはめったに緊急ではない。

 緊急性と重要性を区別する能力は、事業の発展と人生の成功に欠かせない。
 緊急性と重要性を区別できなければ、無駄の多い人生を送ることになる。

 毎日、さまざまな出来事が発生する。
 その中には緊急なこともあるし、重要なこともある。
 両方である場合もあるし、どちらにも該当しないものもある。
 ここで注意すべきなのは、緊急なことはめったに重要ではなく、
 重要なことはめったに緊急ではないということだ。
 しかし残念ながら、ほとんどの人は、
 緊急なことがすべて重要であるかのように思い込んで奔走する。
 緊急性と重要性の区別を具体的に説明しよう。

 ●会議に間に合うよう必死で車を運転することは緊急だ。無事に到着することは重要だ。
 ●明日までに仕事を終えることは緊急だ。質の高い仕事をすることは重要だ。
 ●事業を軌道に乗せるために長時間労働をすることは緊急だ。
  運動をし、正しい食生活をし、十分な休養をとるために時間を割くことは重要だ。
 ●クロージングは緊急だ。顧客満足度とリピート客をもとに事業を構築することは重要だ。
 ●かっこいい新車や高価なドレスを買うことは緊急だ。
  経済的成功を収めるために節約と投資をすることは重要だ。

 緊急なことに奔走してばかりいると、人生はうまくいかない。
 多くの人が、一生懸命に働いているのにますます貧しくなり、
 いつも時間が足りないと感じている原因の一つはここにある。
 人々は緊急なことに時間を奪われ、重要なことをなおざりにしている。
 重要なことをなおざりにすると、どういうことになるかは容易に想像できるはずだ。
 遅かれ早かれ、それは緊急かつ重要になり、危機と呼ばれるようになる。
 たとえば、お金の危機、健康の危機、事業の危機、家族の危機がそうだ。
 緊急なことではなく重要なことに時間を使えば、そういう危険はさけることができる。
 あなたにできる最も重要な選択の一つには、何が重要かを決定することだ。
 その上で重要な結果を出すことに時間を使うといい。』
(自宅にいながら金持ちになる方法 P148より、一部加筆修正)
自宅にいながらお金持ちになる方法 [単行本] / マイケル ルボーフ (著); Michael LeBoeuf (原著); 弓場 隆 (翻訳); ダイヤモンド社 (刊)

『やぶっちコメント』
タイムマネージメントで一番有名な著書「七つの習慣」や時間管理のセミナーで必ず出ってくる
重要性と緊急性の優先順位のつけ方について、わかりやすく説明している文章だなって思い書きました。
自分も頭では分かっているのですが、なかなか重要ことより緊急なことばかりやってしまっています。

posted by やぶっち at 10:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月10日

第39回:唯物論と観念論

マルクス.jpg『こういうええ加減な世の中になってくると、人間には哲学が大切になってくる。
 哲学とは、もうこれ以上のことは考えられないというギリギリ最後の問題まで、
 必死になって考え、追求する学問である。

 人間にとって”ギリギリ最後の問題”とはなんだろうか?
 それは唯物論か、観念論かという問題である。

 唯物論と観念論は、根本的に対立する哲学上の二つの立場で、
 唯物論こそ科学の原則的な観点にほかならず、
 観念論は宗教につながるものである。

 複雑怪奇な現代社会を生きる人間は、どちらの立場をとるのか、
 はっきりさせる必要があるように思う。

 唯物論か観念論か。

 これは人間の最後の最後のギリギリの問題であると同時に、
 大げさではなく、人間の生き方のすべてを決定する第一義的なスタート地点でもある。
 どちらの立場をとるかによって、その人の人生はまるで変ってくる。
デカルト.jpg
 観念論の立場は、デカルトが提出した命題に要約されている。
 「我思う、ゆえに、我在り」
 デカルトは、自分が「思う」からこそ、自分が「在る」と断言している。
 つまり、「思う」ことが人間の根源であるとする哲学である。
 この立場をとるなら、「思う」ものは「在る」ものである。
 人間は神を「思う」。「思う」からこそ、神は「在る」ということになる。

 唯物論の立場は、これとはまったくの逆の正反対だ。
 「我在り、ゆえに、我思うなり」
 と逆転する。
 唯物論では、人間は「在る」からこそ「思う」のである。

 神を否定している僕は、もちろん唯物論者である。
 あなたは、どちらの立場を取るだろうか?

 もう少し、「在る」と「思う」について考えてみたい。
 例えば、この世の中はどうだろうか?
 もし、この社会が、あなたが「思う」から「在る」のだとすれば、あなたの死後、
 社会は存在しないことになる。
 けれど、あなたが死んでも、間違えなく、この社会は存在している。
 あなたの死で、社会が終わるわけではない。
 終わるのは、あなたが社会を「思う」ことだけだ。
 たしかにあなたが死ねば、あなたにとっての社会はなくなったのと同じだが、
 それは社会がなくなったことではない。
 人間は、しばしば、「在る」ことと「思う」ことを混同してしまう。

「神さまはいます。絶対に存在します」という人でも、問いつめてみると、
「神さまに会ったことがある」という人はいない。
 つまり、神さまは「在ると思う」と思っているだけなのだ。「在ると思う」を縮めて
「在る」と言っているだけのことなのだ。
 なかには「神の姿を見た」と言う人もいるが、それは幻覚の中での話である。
 やはり「見たと思う」だけのことである。
 これでは、神の存在を理論的に証明したことにはならない。
「神さまは心の中にいる」というのなら、何も言いません。
 それはまさに「思う」ことであって、神の存在を証明したことにはまるでならない。

 僕が知っている新聞社の記者は、なんと唯物論を知らなかった。
 やっぱり唯物論を知っとかんといかん。知らんと、どうしてもまずい文章になってしまうんやね。
 文章の基準点をどこに置くかと言うたら、科学を基に置かないとアカンのよ。
 それを基に文章を書かないとダメなんですわ。
 唯物論を知らん新聞記者は、真理を伝えるためのそこが欠落してるわけや。
 いくら賢くても、唯物論を知らないばかりに常識が判断できないわけです。
 だから「おそらく天国でも小渕さんは幸せにしてるでしょう、今、沖縄サミットを喜んでおられるでしょう」
 といった文章を書いてしまう。どうしてもそういう書き方をしてしまうわけや。』
(ゼニの人間学より、一部加筆修正)

 ゼニの人間学 (ロング新書) [新書] / 青木 雄二 (著); ロングセラーズ (刊)

『やぶっちコメント』
 自分は、投資をする企業を調査するときは、唯物論の思想で考えるようにしています。
 特に経営者の発言、コメントが実現可能なことを言っているか、
 財務諸表(貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書など)
 を読むときは必ず科学的な根拠があるかを気にしながら読むことにしています。
 それによって、投資のリスクを少しでも抑えるようにしています。

 また、昔読んだ別の本の中で、唯物論と観念論についての考え方で、
「なるほど」と思った内容を紹介したいと思います。

 ≪不滅の精神について≫
 「観念論は、精神、霊魂の不滅をいいますが、唯物論は物質の不滅性を主張します。
  しかし、だからと言って唯物論者は精神の不滅性を否定しているわけではありません。
  死んだ人の思想、考え、希望(こうした他人の意識は書籍、ノート、声というような物質を媒介として)
  は生きている人の脳の働きである生きた精神の中で生き続けます。
  生きている人間が先人たちの思想、希望、理念を引き継ぐ限り、先人たちの魂は不滅と言えます。
  死者も生者の記憶の中で生き続けます。
  マルクスもまた、私たち、更にあとに続く世代の人の中に生き続けます。」
 

 自分のブログやインターネット上に書いたコメントなども自分が死んだあとも残ることを意識して書いています。
 また、少しでも自分のブログが未来の人たちの役に立てたらいいな〜という思いもあってこのブログを書いています。

posted by やぶっち at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生訓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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